-天気予報コム-

2009/05/06

鎌倉なんでもベスト3 -ちょっと変わったお店-

鎌倉なんでもベスト3、其の七はもうひとつお店ネタ、「ちょっと変わったお店」。

◆由比ヶ浜大通り沿い、古びたビルの正体は?
Banku若宮大路から下馬の交差点を右折して、由比ヶ浜大通りをしばらく行くと、左側に古びた細長い外観の建物が見えてきます。交番かな?いや、それにしては赤色灯がない。事務所かなにかに使われていた廃ビルだろうか。。。近寄って見てみると、入口のドアの上には「由比ヶ浜出張所」と書いてある。。。
実は、この建物、かつて旧横浜興信銀行(現・横浜銀行)の由比ヶ浜出張所でした。昭和2年の建築。現在は、その名も「THE BANK」という名前のバーになっています。経営者の方が、偶然、この建物を見つけてバーにしようと思いついたのだそうです。
そういえば、昔の銀行の建物って、すばらしい洋風建築が多いですよね。銀行の建物をバーにしちゃおうなんて、ナイスアイデアだと思いませんか!

◆大町の路地を入って、その奥の奥にあるメルヘンの世界のお店
Oyatuさて、次のお店は何が変わっているかというと、その場所を案内するのが難しい。
鎌倉駅東口からだと、まず、若宮大路を渡って郵便局の脇の路地を抜け、小町大路に出る。小町大路をしばらく南へ進み、大町四ツ角を左折。安養院の前を通り過ぎ、次の信号を左折。大宝寺の前を通り、ひたすら住宅地の中の道を進む。道が二股に分かれるので右側に進み、左に折れる3つ目の小道を曲がり50メートルほど進んでやっと到着。どうですか?分からないでしょう(笑)。
このお店は「3時のおやつ工房」というケーキ屋さんで、大町の住宅地の奥の奥にあります。鎌倉は山が多いので、直線距離はたいしたことがないけど、行くのがとても大変という場所があるのですね。
建物の外観。どうです、素敵でしょう。メルヘンの国に迷い込んだみたいですね。
もう少し便利な場所にあれば。。。と食いしん坊の私は思うわけです。。。

◆広い、とてつもなく広いお店
Raitei最後は鎌倉山から。「鎌倉山」というのは、昭和の初期に造成された西鎌倉の高台の高級別荘地の名称で、かつては、松竹の大スター田中絹代や、近衛文麿首相の邸宅もありました。現在は、テレビで活躍中のM氏が大豪邸を建築中で話題になってますけど。。
この住宅地のバス通り沿いにあるのが、懐石料理と蕎麦の店「らい亭(「らい」という字は「木」偏に「雷」と書く。)」というお店。目印は、かつて西御門(にしみかど・鎌倉市内の地名)にあった高松寺(こうしょうじ)の山門を移築したという立派な門。門を入ってすぐには分かりませんが、ずーっと奥に進んでいくと、その敷地の広さに驚かされます。
実は、らい亭の敷地になっている場所一帯は、かつて政財界に強い影響力を持ち、この鎌倉山の別荘地を開発したフィクサー・菅原通斉(すがわらつうさい)氏の別荘でした。敷地面積約5万平方メートル(約1万5千坪※)で、広々とした回遊式庭園の一角に横浜の養蚕農家の屋敷を移築したお店の建物が建っています。

しかし、冷静に考えてみると、仮に建物が2百坪だとすると敷地に対する売り場の占有面積が約1.3パーセント。なんとも贅沢です。固定資産税とか、大変でしょうね。。。

※以前は、お隣の「山椒洞」(田中絹代の旧邸)も「らい亭」の所有で懐石料理屋でした。その頃は「らい亭」「山椒洞」あわせて、敷地面積約3万坪。2007年に「山椒洞」が人手に渡り(しかも建物が取り壊された!)、狭くなりました。

さて、ちょっと変わったお店ベスト3ですが、
1位 : THE BANK
2位 : らい亭
3位 : 3時のおやつ工房

2009/05/04

鎌倉なんでもベスト3 -オススメのカフェ・甘味処-

鎌倉なんでもベスト3、其の六は「オススメのカフェ・甘味処」。

2008年に鎌倉を訪れた観光客の数は、約1934万人だそうです。5年連続の増加だとか。
昨今のウォーキングブームの影響もあるでしょうが、鎌倉を愛する私としては、お客さんが増えることはとてもよいこと、そしてうれしいこと。
一方で、宿泊施設や公衆トイレの不足、ゴミ問題など、受け入れ態勢もしっかりしたものが必要になりますね。

さて、これからの観光シーズン、名所めぐりはとても楽しいですが、歩きつかれたときにうれしいのが、ホッと一息つけるカフェや甘味処。しかし、鎌倉は観光地だけに店が多い。飲食店の数だけでいくつあるやら。。。

そこで、私のおすすめのお店を紹介しておきたいと思います(私の独断と偏見ですがご了承あれ)。すべて有名店なので、ご存知の方も多いと思います。

イワタコーヒー店


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鎌倉一の繁華街、小町通りの入口にあるのが「イワタコーヒー店」。かつて大仏次郎(おさらぎじろう)や川端康成など、鎌倉文士たちもこの店のコーヒーを愛したと言う昭和23年創業の老舗喫茶店。ジョン・レノン、オノ・ヨーコもこの店でお忍びデートをしたとか。
店内の雰囲気は、そう、懐かしい昭和の雰囲気。革張りの固めのソファーにそっけないテーブル。華美な装飾や高級な食器など一切ありません。置いてある灰皿だって、昔ながらのステンレス製。でも、これがいいとは思いませんか!
この店に入って驚くのが、意外と奥行きがあること。そして、奥には中庭が開けており、大き目の窓からは陽光がさんさんと降り注いでいる。ときどき、向いの建物からおばちゃんが出てきて、庭にホースで水を撒いていたりする。。。

懐かしい。昔はみんなこんなだったはず。過剰なサービスなどいらないから、とにかくゆっくりしたい。窓から入る陽射しの下で、ゆっくり読書し、そして飽きたら時間を忘れて居眠りしたい。。。
鎌倉の繁華街の一角に、今なお残るやさしい時間の流れる場所。。。

と、書くとすごく良いお店のように思えますが、休日はダメですよ。雑誌片手に押し寄せるお客さんで一杯になっちゃいますから、とてもゆっくりはできません! ゆっくりするなら観光オフシーズンか、平日の開店(10:00)と同時が狙い目です。
あと、表面はカリカリ、中はフワフワの名物の特大ホットケーキは、焼くのに30分かかるので気をつけてくださいね。

ミルクホール


Milk1
Milk2

このお店は、路地の中にあるもので、初めて行くときはなかなか難しい。。小町通りを北に向って歩いて、煎餅屋さん(壱番屋)と漬物屋さん(味くら)のある角を左に曲がります。中華の「二楽荘」を過ぎたところでもう一度左に曲がる。そこにある黒くて古びた建物。それが老舗カフェ「ミルクホール」。

店の名前の由来ですが、「ミルクホール」というのは、明治から大正、昭和初期に流行った軽飲食店で、牛乳やコーヒー、パン、ケーキなどを出したのだそうです。ですから、店内に入ると中はすべてアンティーク。家具や置物だけじゃなくて、ストーブまで随分年代物を使っています。瞳を閉じて、再び眼を開けると、そこで古き良き時代のハイカラな紳士・淑女がおしゃべりしてそう。

私は、この店で注文するものは決まってます。昼に来たらカレー。午後に来たらコーヒーとチーズケーキ。夜のバータイムに来たらアイリッシュウィスキーをロックで。迷わないのは良いこと。迷う時間があれば、その分雰囲気や流れる音楽を味わったほうが良い。

ちなみに営業時間は、
 ランチタイム : a.m.11:30~p.m.2:30
 ティータイム : p.m.2:30~p.m.6:00
 バータイム : p.m.6:00~p.m.10:30

茶房 雲母


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Kirara2

このお店の名前は「雲母(きらら)」と読みます。京都の「雲母坂」と一緒。
雑誌などでは、必ず取上げられてますから、もう紹介の必要もないくらいですが、やっぱりこの店の白玉は美味!
場所は、鎌倉駅西口から佐助稲荷・銭洗弁天に行く途中。もちもちの白玉をぜひご賞味あれ。
晴れの休日はとても混雑します。雨の日や平日なら比較的入りやすいですね。

私の中での順位は、
1位 : 雲母
2位 : ミルクホール
3位 : イワタコーヒー店
です。

鎌倉なんでもベスト3 -ユニークな伝説-

鎌倉なんでもベスト3、其の五は「ユニークな伝説」。

古い歴史を持つ街、鎌倉。お寺や神社、民間に伝わる伝説や物語にも、古い歴史を持つ街ならではのとってもユニークなものがたくさんあります。
その中でも、とくに面白いものを3つご紹介します。

◆ムジナ塚の話(瑞泉寺Mujina
早春の梅、夏の芙蓉、晩秋の紅葉、冬の水仙。。。と四季を通じて境内に花が絶えることのない、鎌倉有数の「花の寺」、瑞泉寺。このお寺の鐘楼のそばに、寺を訪れる人もまず気づくことがないほど、ひっそりと祀られているのが「ムジナ塚」。小高く土盛りされた塚の上に、どっしりした体形のムジナ君の像が座っています。

「ムジナ」というのは、「アナグマ」もしくは「タヌキ」のこと。アナグマとタヌキは外見が少々似ていますが、アナグマは鋭い爪を持っていて自分で巣穴を掘るのに対して、タヌキは自分では穴を掘りません。なので、タヌキはアナグマが掘った巣穴の入口あたりに居候させてもうらうことが多い。「同じ穴のムジナ」というのは、このことが語源になっているようです。

さて、瑞泉寺のムジナ君には、どんなお話があるかというと。。。

むかし、むかし、瑞泉寺には堂守(どうもり)の夫婦が住んでいました。そこへ毎晩、近くの山に住むムジナが老人の姿に化けて遊びにきました。
瑞泉寺は鎌倉の奥にある寺で、堂守夫婦はとても寂しい暮らしをしていました。なので、毎晩訪ねてきてくれる老人をありがたく思い、まさかムジナが化けているとは思わず、食事やお酒を振舞ってもてなしました。

ある晩、いつものように老人が訪ねてきたので、堂守は老人にお酒をすすめました。老人はお酒を飲んで、楽しそうに話をしていましたが、この日はいつもよりも少々お酒を飲みすぎてしまったようです。やがて、老人は酔っ払って居眠りをはじめました。するとどうでしょう。いびきをかいて眠る老人に尻尾が生え、ひげが生え、みるみるうちに老人はムジナの姿に変わっていきました。
驚いたのは、堂守です。「おじいさんだと思って親切にすれば、悪いムジナめ」と言って、かたわらにあった焼け火箸で、ムジナを突き殺してしまいました。
しかし、堂守は後になって後悔しました。たしかに、人をだましてお酒やご飯をただ食いする悪いムジナだったけど、寂しい我々夫婦を随分楽しませてくれたではないか。ムジナが死んで訪ねてこなくなってからは、夜が一層寂しくなった。。。
そこで、堂守は塚を造って、ムジナを手厚く葬りました。

これが、瑞泉寺のムジナ塚のお話です。深酔いは禁物ですね。。。

◆どこも苦地蔵の話(瑞泉寺)Jizou
もう一つ瑞泉寺から。瑞泉寺の本堂の左脇に小さな地蔵堂があります。中にまつられているのが「どこも苦地蔵」というお地蔵さん。このお地蔵さんには、こんなお話が伝わっています。

むかし、瑞泉寺に堂守が住んでいましたが、あまりにも寺の生活が苦しいので逃げ出そうと考えていました。すると、ある晩、堂守の夢枕にお地蔵さんが立って、「どこも苦、どこも苦。。。」と言いました。
この世の中、どこへ行ったって苦しいのは同じこと。同じ苦しいなら、今の仕事をもう少し続けてみよう。そう思い直した堂守は、逃げるのを思いとどまって寺に残りました。

というお話。先日、このお地蔵さんの前を通りかかると、女性が2人で話していて、「どこへ行っても苦しい今の時代に、とてもタイムリーなお地蔵さんだね。」と言っていました。
未曾有の不況と言われるこの時代。
「苦しいのはあなただけじゃないよ。」
訪れる参拝客に、お地蔵さんがそのように言っているように思えてきました。

◆タヌキが建てた山門の話(建長寺Sanmon
最後に、もう一つ、タヌキがでてくるお話。
鎌倉のお寺の建物は、地震や戦火、失火により度々失われ、その度に再建されてきました。現在の建長寺の山門(禅寺の場合、「三門」ともいう)は、江戸時代の安永4(1775)年に、第二百一世の万拙碩誼(ばんせつせきぎ)和尚の下で再建されたものですが、この再建にあたっては、僧侶が諸国を勧進して歩き、資金を捻出したのだそうです。
このことが、次のようなタヌキ和尚の話を生みました。

その昔、建長寺の裏山の林に、古タヌキが棲みついていました。ある時、建長寺の和尚は山門を再建したいと願ったのですが、老いて諸国に勧進(お金集め)の旅に出ることができませんでした。そこで永年境内に住まわせてもらったお礼に、タヌキが和尚の姿に化けて旅に出ました。
タヌキはあちこちで「拙僧は鎌倉建長寺の僧だが、山門再建のためご寄進を願いたい」と言って寄進を受け、大金を集めました。しかし、いくら立派な坊さんに化けてもタヌキはタヌキ。飯を食えば米粒を畳にぶちまける、風呂に入れば尻尾があるのを家の下働きの女に見られるといった具合で、旅を続けてしばらくすると、建長寺の勧進和尚はタヌキだという噂が立ち始めます。
ある日、タヌキ和尚が青梅街道で駕籠(かご)に揺られているとき、タヌキ和尚の噂を聞いていた駕籠屋が和尚に犬をけしかけました。しばらく匂いを嗅いでいた犬が突然、和尚の首に喰らいつくと、あっけなくタヌキ和尚は死んでしまいました。和尚の死体は見る見るタヌキの姿に変り、駕籠の中には金三十両と銭5貫200文が残っており、このお金は建長寺に届けられました。

人様のお役に建ちたいとがんばったタヌキ和尚、なんだかかわいそうですよね。ちなみにこのタヌキ、寄進を受けたお礼に書や絵を描いたらしく(尻尾で描いた?)、あちこちの宿場に描いた絵がの残っているのだそうです。


鎌倉のユニークな伝説、ベスト3は、
1位 : タヌキ和尚のお話
2位 : ムジナ塚のお話
3位 : どこも苦地蔵のお話
ですかね。

2009/05/03

鎌倉なんでもベスト3 -大正ロマンを感じる場所-

鎌倉なんでもベスト3、其の四は「大正ロマンを感じる場所」。

鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた武家の都。鎌倉時代は日本の政治の中心都市として繁栄しました。室町時代になると、政治の中心は京都に戻るものの、鎌倉には「鎌倉府」という東国の政治を束ねる機関が設置され、東国の中心都市として重要な役割を担い続けました。

しかし、室町時代後半から戦国時代になると、度重なる戦火などで鎌倉は急速に衰え、やがて東国の一寒村になってしまいます。

江戸時代には、江ノ島詣での物見遊山の観光客が訪れるようになるものの、鎌倉が、再び本格的に発展するのは明治時代になってから。1889(明治22)年に横須賀線が開通すると、海あり山ありの風光明媚な土地で、しかも東京からほど遠くないということで、鎌倉は別荘地・保養地として人気を博するようになります。こういうわけで、鎌倉には日本の古きよき時代、明治・大正期に建てられた洋館が、今なお残っています。

かいひん荘 鎌倉
Kaihinso
江ノ電の由比ヶ浜の駅を降り、路地に入っていくと、ほどなく「かいひん荘 鎌倉」という旅館があります。
道路と敷地を仕切る塀も和風、旅館の入口の構えも和風なので、純和風旅館のように見えますが、入口からみえる和館の裏手に、規模はそれほど大きくはないものの白い洋館が建っていて、今も客室として利用されています。
この洋館は、富士製紙社長の村田一郎の邸宅として、1924(大正13)年に建てられたもの。豪雪地域によくあるような急勾配の切妻屋根と、出窓が多いのが特徴になっています。
アンティークなロビーやラウンジ、洋館の客室に入れば、そこは「大正ロマン」の世界です!

※和室の客室もあります。

ホテル ニューカマクラ
Photo鎌倉駅の横須賀線ホームから、西口(江ノ電が発着する側)のほうを眺めると、黄色っぽい建物が眼に入ります。この建物は、「ホテル ニューカマクラ」という素泊まりホテル。鎌倉駅前の一等地に、こんなホテルがあるなんて知らないという人も多いのではないでしょうか。

今、このホテルが建つ場所は大正時代、「平野屋」という料亭でした。しかし、この料亭、経営が今ひとつで、夏の海水浴客を当て込んで、部屋を間貸しするようなサービスをしていました。
大正12年の夏、このうちの一部屋を間借りしたのが、岡本かの子(歌人。岡本太郎の母)。そして、かの子の借りた隣の部屋を借りていたのが、芥川龍之介でした。
たまたま一夏を隣同士で過ごすことになった、かの子と龍之介。このときの体験をもとに、龍之介の素顔とも言える人物像を描いたのが、かの子の小説家としての処女作『鶴は病みき』。
この5年後に龍之介は自殺を遂げますが、この当時、もう随分と精神的に病んでいたようで、小説に登場する龍之介は「奇行の人」そのもの。風変わりな人という意味では、かの子も同じですが。。。

龍之介とかの子が泊まった直後、「平野屋」の建物は関東大震災で倒壊。その後に建てられたのが、現在の「ホテル ニューカマクラ」の前身「山縣ホテル」。戦後、進駐軍に摂取されたり、病院になったりという歴史を経て、現在は、安価な素泊まりホテルとして人気を博しています。

夕方、小町通の路地奥にある、アンティークなカフェ・バー「Milk Hall(ミルクホール)」でグラスを空けた後、大正ロマンの香りのするホテルでゆったり、などというのも鎌倉ならではの素敵な夜の過ごし方かと思います。

鎌倉文学館
Photo_2鎌倉の大正ロマンの代表格は、やはり鎌倉文学館でしょう。
明治23年、当時の前田利嗣侯爵が現在の文学館一帯の土地を手に入れ、鎌倉別邸を建てたのがはじまり。
火災による焼失と関東大震災による倒壊を経て、現在の洋館が建てられたのは、昭和11年のこと。

この建物が、大正ロマンのイメージと重なり合うのは、現実の建物の優美さもさることながら、数年前、妻夫木聡・竹内結子主演で映画化もされた、三島由紀夫の小説『春の雪』に、松枝侯爵家の鎌倉の別邸として登場することも大きいかと思います。

『春の雪 豊饒の海(一)』より一部抜粋

「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組みの門があらわれる。王魔詰の詩の題をとって号した『終南別業』という字が門柱に刻まれている。この日本の終南別業は、一万坪にあまる一つの谷をそっくり占めていた。先代が建てた茅葺きの家は数年前に焼亡し、現侯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へ開く庭全体を西洋風の庭園に改めた。
南面するテラスからは、正面に大島がはるかに見え、噴火の火は夜空の遠い篝になった。・・・」

さて、これも順位付けは難しいですが、「大正ロマンを感じる場所」ベスト3は、

1位 : 鎌倉文学館
2位 : ホテル ニューカマクラ
3位 : かいひん荘 かまくら

ということにしておきます。

2009/05/02

鎌倉なんでもベスト3 -難読地名-

鎌倉なんでもベスト3、其の三は「難読地名」。

歴史のある土地に付き物なのが、難しい地名。道路標識などを見ても う~ン と唸ってしまいます。
例えば、京都は難読地名の宝庫。次に挙げる地名、読むことができますか?

1.化野
2.姉小路通
3.一口
4.正親町小路
5.花遊小路
6.先斗町
7.百々町
8.万里小路
9.清和井
10.神足

挙げだしたら切りがないですが、とりあえず10問。いくつ読むことができましたか?
正解は、

1.化野 (あだしの)
2.姉小路通 (あねやこうじどおり)
3.一口 (いもあらい)
4.正親町小路 (おおぎまちこうじ)
5.花遊小路 (かゆこうじ)
6.先斗町 (ぽんとちょう)
7.百々町 (どどちょう)
8.万里小路 (までのこうじ)
9.清和井 (せがい)
10.神足 (こうたり)

でした。
次は、鎌倉の難読地名。全部読めたら、なかなかの鎌倉通ですね。15問くらいいってみましょう。

1.十二所
2.化粧坂
3.西御門
4.魚町
5.犬懸ヶ谷
6.姥ヶ谷
7.荏柄天神
8.御成
9.衣張山
10.飢渇畠
11.巨福山
12.小動岬
13.鷲峰山
14.御輿ヶ嶽
15.武庫山

さあ、どうでしょう。結構難しいですよね。
正解は、

1.十二所(じゅうにそ) :鎌倉市東部の地区名
2.化粧坂(けわいざか) :七切通しのひとつ
3.西御門(にしみかど) :頼朝屋敷の門に由来する地名
4.魚町(いおまち) :鎌倉幕府が許可した町屋のひとつ
5.犬懸ヶ谷(いぬかけがやつ) :杉本寺付近の地名
6.姥ヶ谷(うばがや) :稲村ヶ崎付近の地名。江ノ電にかつてあった駅名
7.荏柄天神(えがらてんじん) :鎌倉有数の古社。日本三大天神のひとつ
8.御成(おなり) :鎌倉市役所付近の地名。皇室御用邸があったことから、「御成りになる」が由来
9.衣張山(きぬばりやま) :鎌倉の南東部にある山
10.飢渇畠(けかちばたけ) :由比ヶ浜の六地蔵付近の地名
11.巨福山(こふくさん) :建長寺の山号
12.小動岬(こゆるぎみさき) :腰越地区にある岬
13.鷲峰山(じゅぶせん) :鎌倉北部にある山。覚園寺の山号
14.御輿ヶ嶽(みこしがたけ) :甘縄神明神社背後の山。万葉集にも詠まれている
15.武庫山(むこさん) :源氏山の古名

でした。
ベスト3は、「十二所」「化粧坂」「西御門」かな?


2009/05/01

鎌倉なんでもベスト3 -庭園-

鎌倉なんでもベスト3。其の二は、「庭園」について。

美しい仏像との出会い、丹精込めて育てられた境内のお花の観賞、とお寺めぐりの楽しみは尽きませんが、立派なお庭を拝観するのも、お寺めぐりの楽しみの一つですね。
しかし、京都などと比べると、鎌倉には見るべき庭が少ないと言われています。それはなぜでしょうか。まずは、日本の庭園の歴史を少し調べてみましょう。

◆平安時代
平安時代、京都では寝殿造庭園や浄土式庭園と呼ばれる庭園が盛んに造られました。
「寝殿造庭園」というのは、平安貴族が住んだ「寝殿造」の屋敷に付随する庭園のこと。絵巻物などに、池に船を浮かべて管弦の宴を催している絵がありますが、まさにあのような庭園のことです。代表的な遺構として、京都の神泉苑があります。

平安時代後期になって主流となるのが、この時代に流行った浄土信仰に基づく「浄土式庭園」。
お釈迦様が亡くなって、2000年目からの世の中は「末法の世」という仏の救いが及ばない世になる、というのがいわゆる「末法思想」。末法の世に生まれ、現世では救われないのなら、せめて死んだ後は阿弥陀様の主宰する極楽浄土に行き、幸せになろうというのが「浄土信仰」で、平安貴族たちは、なんとか極楽浄土に生まれ変わろうと、それは必死だったようです。

極楽浄土に生まれ変わるために、貴族たちは2つのことをがんばりました。1つは、念仏を唱えること。もう1つは、自分が行く極楽浄土の様子を頭の中に思い浮べてイメージトレーニングをすること。このイメージトレーニングのために造ったのが、「浄土式庭園」なのですね。自分の思い描く理想の極楽浄土の様子を庭園に現し、こういう場所に生まれ変わるんだ、とイメージトしたわけです。平等院鳳凰堂の庭園は、関白・藤原頼通が思い描いた極楽浄土です。
Byodouinこのように、寝殿造・浄土式庭園が盛んに造られた平安時代ですが、この時代、鎌倉はまだ地方の田舎町。寝殿造庭園や浄土式庭園が造られることは、もちろんありませんでした。

◆鎌倉時代
鎌倉時代になって、中国から新しく入ってきたのが、「禅」の教え。禅宗は鎌倉幕府が保護したこともあり、建長寺や円覚寺など、禅宗の大寺院が建立され、鎌倉で大発展します。
「禅」は仏教の教えですが、禅宗のお坊さんたちによって、さまざまな「禅宗様」の文化も発展します。そのひとつが禅宗様の庭園。平安時代の寝殿造りの庭園が、「大和絵」的な穏やかなものだとすると、禅宗様の庭園は「禅」の思想を表現する、非常に厳しいもの。絵に例えるなら枯淡の墨で描いた「水墨画」に近いでしょうか。

では、鎌倉時代になってすぐに禅宗様の優れた庭園がたくさん鎌倉に造られたかというと、そうでもありません。禅宗様の庭園を様式的に完成させたのは、夢窓国師というお坊さん。この人は、京都の西芳寺(苔寺)や、天龍寺の庭園など傑作を数多く残しました。
しかし、夢窓国師は鎌倉末期から室町初期の人物。しかも、夢窓国師の晩年の傑作というのは、足利将軍家の命によって京都で造られている。このような事情が、鎌倉には見るべき庭園が少ないと言うことにつながっているのです。

<鎌倉の庭園ベスト3>
確かに、歴史的に価値のある優れた庭園は少ない鎌倉ではありますが、全く見るべきものがないかと言えば、そんなこともありません。私が、鎌倉の優れた庭園として挙げたいのが、「瑞泉寺の庭園」、「海蔵寺の庭園」、「報国寺の庭園」です。

瑞泉寺の庭園
Zuisenji瑞泉寺を開いたのは夢窓国師で、本堂裏の庭も夢窓国師の作。この庭の位置づけは、後年、京都で造る苔寺や天龍寺の庭園のプロトタイプ的なものと言えるでしょう。

岩肌にポカンと口を開ける大小の穴と、水草の生えた池。はじめてこの庭を見た人は、一見、何を表現しているのか分からず、戸惑ってしまうかもしれません。しかし、よくよく観察すれば、仙人が住む深山の洞窟、流れ落ちる滝、海に向って急流から大河へと変化する水の流れ、そういった大自然の変化が、禅の厳しい思想に裏打ちされて表現されているのに気付くと思います。
規模こそ小さいですが、やはり作庭の天才・夢窓国師の作品。一見の価値ありです。

海蔵寺の庭(非公開)
こちらのお庭は、残念ながら非公開ですが、先日、私の主宰するNHK学園の講座で特別に見せていただく機会があり、とても素晴らしいお庭で感動しました。
このお庭は、今の和尚さんが趣味で(ご本人談)で造っていらっしゃるもので、歴史的なものではありません。しかしながら、深山幽谷から流れ出た水が大海に模した池に流れ込む様子を、お寺の裏山を上手に借景として使いつつ見事に表現しており、素晴らしい出来栄えになっています。
禅寺の庭らしさ、ということで言えば、鎌倉ナンバーワンかもしれないですね。

報国寺の庭園
Hokokuji一風変わった竹林の庭。青々とした孟宗竹の鮮明な風景の中を涼やかに吹きぬける風。風が吹き抜けた後、笹の葉がサワサワとささやくような心地よい音を立てる。。。
この庭は、外国人に「日本の風情というのは、こういうもんだよ」と教えるときに、ちょうどピッタリ。
麗らかで幻想的な春の早朝、夏の午前の心地よさ、秋の昼下がりの美しさ、冬の夕暮れの寂しさ。。。誰もが心の奥底に持っている日本人の心を思い出すために時折訪れたい、そんなお庭です。


さて、これも順位付けはとても難しいですが、鎌倉の庭園ベスト3は、
1位:報国寺の庭園
2位:瑞泉寺の庭園
3位:海蔵寺の庭園
というところでしょうか。

このほか、日本庭園ではありませんが、鎌倉文学館のローズガーデン(イングリッシュ・ガーデン)は、5月には春バラで一杯になります。イベントも行われるので、ぜひ訪れてみてください。

2009/04/29

鎌倉なんでもベスト3 -美しい仏様-

今、ちょうど上野の東京国立博物館で、「興福寺創建1300年記念 国宝阿修羅展」をやっていますね。見に行かれた方も多いと思います。
「天平の美少年」と呼ばれるこの阿修羅像、なんだか仏像というよりも、今で言えば、アイドルかタレントのフィギュアのようにも思えます。本当に瑞々しいですね。

この阿修羅像も含め、「美しい仏像」というのはたくさんありますが、私が今まで見た仏像で、最も美しいものを3つだけ挙げよ、と言われたら、広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」(京都)、薬師寺の「薬師三尊像」(奈良)、中宮寺の「如意輪観音像」(奈良)を選ぶと思います。

やはり、奈良・京都は歴史が古いだけあって、仏像の傑作もたくさんあります。

では、鎌倉には美しい仏様はいないのと言われれば、そんなことはありません。私が鎌倉の美しい仏様を3つ選ぶとすれば、「水月観音」(東慶寺)、「如意輪観音(来迎寺)」、「覚園寺・薬師堂内の群像」を挙げます。

水月観音(東慶寺)
この仏様は「水月観音堂」という独立した建物にお祭りされていて、拝観するには事前予約が必要なこともあり、東慶寺に行ったことはあっても、水月観音を拝観したことはないという人が多いのではないでしょうか。

観音様は「補陀洛山 (ふだらくさん 梵語ポータラカの写音。チベットの「ポタラ宮」というのもここからとっています)」というインドの山に住んでいるのですが、その山の麓を流れる川の辺の岩に腰掛け、水面に映る月を眺めている姿を描いたのが、いわゆる「水月観音」です。

東慶寺の水月観音の特徴はその座り方にあります。仏像は、立ち姿の「立像」、座っている姿の「坐像」があります。そして「坐像」は通常、「正座」や両方の足を組んだ「結跏趺坐(けっかふざ)」、片足を組んだ「半跏趺坐(はんかふざ)」が多いですが、この水月観音は足を組まず、横に流しています。なんだか「お嬢さん座り」みたいですよね。このような坐像を「遊戯坐像(ゆげざぞう)」と言います。遊戯坐像は中国(宋王朝の時代)では数多く造られましたが、日本では作例が非常に少ないのでとても貴重です(※1)。

この仏様、ややうつむき加減の表情といい、衣の繊細な線といい、言葉では表現できない美しさを持っています。「鎌倉の美女」というのにふさわしい仏様。鎌倉へお越しの際は、ぜひ拝観をおすすめします。

如意輪観音(来迎寺)
来迎寺というお寺は、鎌倉に2つあるので、注意が必要です(西御門と材木座)。ご紹介する如意輪観音は西御門(にしみかど)のほうの来迎寺にいらっしゃいます。

この仏様の美しさは、上で紹介した水月観音が可憐な美しさだとすれば、どちらかというと妖艶な美しさです。岩穴の奥に座り、来るものをその美しさで魅了する、そんな感じですね。とにかく一度お参りすると、その美しさに囚われ、何度も足を運びたくなってしまいます(私だけ?)。
もともとこの仏像は、現在、頼朝の墓がある場所に明治初年まであった法華堂(頼朝持仏堂)のご本尊でしたが、廃仏毀釈(神仏分離令)により法華堂が取り壊されたので、来迎寺に移されたのだそうです。
鎌倉の仏像特有の装飾技法である「土紋(粘土と漆を混ぜたものを型抜して、仏像の表面に貼り付けていく技法)」があしらわれているのも、この仏像の特徴です。

覚園寺・薬師堂内の群像
皆さん、覚園寺というお寺、ご存知でしょうか。薪能で有名な鎌倉宮(大塔宮)から、更に山の麓のほうにしばらく歩いたところにあるお寺です。
このお寺は、なんというか「鎌倉らしさ」とか「鎌倉の風情」というものをギューっと凝縮したような魅力のあるお寺です。
室町時代に建てられた本堂の薬師堂は、ほぼ当時のまま。したがって中にお祭りされている仏様もほぼ当時のままの姿。戸の隙間から入るわずかな光とお灯明だけに照らされて、その優美な姿で立っている群像。このお寺に来ると、なんだか時空を超えて、鎌倉・室町の昔にタイムスリップしたような感じさえしてきます(※2)。

薬師堂の中心にいらっしゃるのは本尊の薬師如来像。そして両脇には日光・月光の両菩薩。壁際に並ぶのは、邪悪なものが薬師如来に近づかないよう、恐ろしげな表情で周囲を威嚇する十二神将。
さらに、本尊に向って右奥にも忘れてはならない仏様がいらっしゃいます。小さな阿弥陀様で、「鞘阿弥陀(さやあみだ)」と呼ばれる仏様。かつて、理智光寺というお寺のご本尊でしたが、理智光寺が廃寺になったため、客仏として覚園寺にお祭りされています。生前、鎌倉に住んでいた川端康成が、この仏様を大変気に入っていて、度々訪れては眺めていたとか。


順位は付け難いですが、一応順位付けすると、鎌倉の美しい仏様ベスト3は、
1位:水月観音(東慶寺)
2位:如意輪観音(来迎寺)
3位:覚園寺・薬師堂内の群像
ですね。

もちろん鎌倉には、与謝野晶子に「美男」と読まれた大仏様をはじめ、ほかにもたくさん素敵な仏様がいらっしゃいます。GWは大変な混雑で、ゆっくりお寺をお参りするのは難しいですが、GW後、梅雨の紫陽花の時期までは比較的混雑もおさまり歩きやすいので、ぜひお寺を訪ね歩いて、美しい仏様と素敵な出会いをなさってください。

※1 遊戯坐像については、「日本の美術 No.57 禅宗の彫刻」(至文堂)に詳しい。
※2 覚園寺は、毎日決められた時間に、お寺の方の案内で拝観するスタイル。自由拝観はできないので注意。

鎌倉なんでもベスト3

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。もうすでにGWに突入!という方もいらっしゃると思います。

私は、普段はあちこちに旅行に出掛けていることが多いですが、毎年GWは家にとじこもることに決めています。
通勤電車のような新幹線、延々何十キロも続く高速道路の渋滞。。。これを想像すると、家にいるのが一番!ということになってしまいます。私にとって、GWは普段の疲れをとるための静養期間という感じです。

私と同じで、GWは家で過ごすという方も多いと思うので、鎌倉について何かテーマを決めて面白いことを書こうと思うのですが、あまり固いことを書いても仕方がないので、やや脱力系でいきましょう。

鎌倉なんでもベスト3!

「日本三景(松島、天橋立、宮島)」とか、「日本三名山(富士山、立山、白山)」のように様々な「日本三大○○」というのがありますが、これと同じように、鎌倉について、いろいろなテーマの1位、2位、3位を決めていきましょう。あくまでも私の独断と偏見でですが。。。いかがでしょう?

では、次回から書いていきます。

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