2014/01/15

消えゆく文化の香り 鎌倉の美術館

以前は、冬の鎌倉散策の楽しみの一つとして紹介していた、鎌倉の美術館めぐり。
冬場の花の少なくなる時期、大小問わず、数多くの美術館のある鎌倉の「美術館めぐり」はなかなか楽しいものでした。

しかし、ここ数年、街の文化レベルの高さの指標の一つともいえる美術館が、鎌倉の街から次第に姿を消していっています。

私の記憶に残るところで、ここ数年で閉館(長期休館含む)したのは、

■北鎌倉小瀧美術館(北鎌倉)
2005年閉館
ヴェネツィアン・ガラスと小瀧達郎氏の写真の美術館。

■大谷記念美術館(佐助)
2009年より長期休館中。
故・大谷米一氏(ホテルニューオータニ前会長・ニューオータニ美術館 前館長)が長年蒐集したフランス近代絵画を中心に展示。

■棟方版画美術館(鎌倉山)
2010年閉館
日本を代表する版画家・棟方志功のアトリエ跡に、氏の作品を展示。氏の生まれ故郷である青森県の棟方志功記念館に全作品を寄贈した。

の3件。

さらに、今大きな問題となっているのが、鶴岡八幡宮境内の神奈川県立近代美術館鎌倉館の取り壊し・閉館問題。
「財政難に苦しむ神奈川県が、敷地の所有者である鶴岡八幡宮との土地貸借契約を更新しない方針を示しているため、日本を代表する近代建築の一つである、同建物が取り壊されるかもしれない」といいます。

http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20131119-OYT8T00821.htm

多くの文化人が住み、観光地ながら、ハイソな住宅地・別荘地のイメージのある鎌倉市。なんだか、このままだと、どんどん普通の観光地・住宅地になってしまうようで、危うい気がします。

今後の舵取りとして、参考になるのでは?と思うのが、池袋を擁する豊島区の例。

「芸術で食う」街に変貌?池袋の大胆改革
http://toyokeizai.net/articles/-/28135

池袋といえば、かつては、申し訳ないですが、サンシャインシティーを除けば「東京で最も遅れた繁華街」的なイメージがありましたが、行政の舵取りにより、いつのまにか「文化を発信する街」に変貌。

池袋と違うのは、鎌倉は、もともと良い素材をもっているわけですよね。
文化行政の舵取りを間違えず、「鎌倉らしさ」を失わないようにしたいものですね。

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2011/08/28

みちのくフォトプロジェクト 写真展

応募した写真を最優秀賞に選んでいただいた「第一回JFN みちのくフォトプロジェクト」の写真展が、今日、鎌倉の鶴岡八幡宮で開かれたので、足を運んできました。

会場は鶴岡八幡宮参道で、こんな感じで展示されていました。

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ちなみに先日の記事でも書きましたが、最優秀賞は私の作品も含め20作品。私の作品は、「たかお」名の平泉 毛越寺での「鹿踊り(ししおどり)」の写真です。

最優秀賞作品は、こちら↓のページで発表されています。

◆みちのくフォトプロジェクト ホームページ
http://www7.jfn.co.jp/michinoku/gp.html

帰りは、いつも親しくしていただいている鶴岡八幡宮前のお蕎麦屋さん「鎌倉 峰本」にお邪魔して、新作のメニューをいただいてきました。

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小海老とシラスが冷たいお蕎麦にのった一品。カラッと揚げた海老とお蕎麦がからまり、とても良い食感。
天ぷら蕎麦やたぬき蕎麦の様な油っこさがなく、ヘルシーで良いと思います。

◆鎌倉 峰本ホームページ

http://www5a.biglobe.ne.jp/~minemoto/index.html

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2011/08/13

最優秀賞をいただきました!

「第一回JFN みちのくフォトプロジェクト」で、私の応募作品が最優秀賞に選ばれました。

第一回JFN みちのくフォトプロジェクト ホームページ

何気なく応募したんですけど、うれしいですね。
でも、
・最優秀賞・・・20作品
・優秀賞・・・180作品
で、最優秀賞は私だけではありません^^


最優秀賞と優秀賞作品は耐久性が高いメディアの一つといわれるタイルの形にして、写真展の形式で一般公開されるそうです。
展覧会は、鎌倉をはじめ、都内や岩手県、宮城県、福島県、愛知県常滑市で行われるそうなので、ぜひ足を運んでください。

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2010/05/15

藤本祐嗣 写真展、鎌倉清雅堂@新宿高島屋

今日は、都内で開催中のイベントへ2ヶ所ほど足を運んできました。

まず、はじめに行ったのは、友人のカメラマン藤本祐嗣氏の写真展。場所は、地下鉄の小川町駅のすぐ近くの「オリンパスプラザ 東京」。
彼の作品は、身近なものや旅行先で撮影したものをコンピュータ処理する技法で仕上げられていますが、これが面白い。
一見すると、撮影したものが何か分からないのですが、近寄ってよーく見てみると、「あー、東京タワーだ!」とか「桜だ!」と分かります。撮影されているものが何か分かったら、今度は後に2,3歩さがって見てみると、とても美しい模様に見える。こんな2つの楽しみ方ができる写真って独創的ですよね。

開催は、5月19日まで。日曜日はお休み。

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100506_365620.html

小川町から都営新宿線に乗り、次は新宿高島屋へ。こちらの10階 NYタカシマヤホームで、以前、テレビのクイズ番組でご一緒した、南明実さんのお店、鎌倉清雅堂が臨時のお店を開いています。

鎌倉清雅堂 SUMMER SEKECTION 2010

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写真のコップ、買っちゃいました。
最近、家でウィスキーを飲むことが多いので、良いコップが欲しかったのです。
清雅堂の器は鎚起銅器(ついきどうき)という、職人が手作りしている和風伝統工芸品ですが、これが現代の西洋風ライフスタイルにも、驚くほどピッタリ来ます。
早速、買ってきた器で、一杯飲んでみました。唇への感触がとてもいい感じで、とてもしっくり来ます。
お気に入りの一品になりそうです。

ちなみに、鎌倉清雅堂は、この3月に由比ヶ浜から長谷の新店舗に移りました。

鎌倉清雅堂ホームページ

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2010/05/02

藤本祐嗣 写真展 「QUARTER」

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職場の友人、藤本祐嗣氏が写真展をやります。
彼は今年の国展にも入選(4年前の80回に続き2度目)している才気溢れる若手カメラマン。

彼の作品に映っているのは身の回りのもの。それが彼の手に掛かると、まるで魔法の杖にたたかれたように美の世界のオブジェになってしまいます。まるで世界を大きな万華鏡で覗いているかのようです。

会場:オリンパスプラザ 東京
期間:東京:2010年5月13日(木)~5月19日(水)
時間:午前10:00~午後6:00(最終日 午後3:00まで)

日曜はお休みです。

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2009/11/09

鎌倉巡空

現在、鎌倉芸術祭の一環として、鎌倉のお寺を展示会場に使い、「鎌倉巡空」なる展示会をやっておりますが、これについて一言申し上げたい。

昨日、龍隠庵(円覚寺塔頭)と浄智寺に展示中の作品を見てきましたが、首を傾げずにはいられませんでした。

龍隠庵の作品(写真左)は、確かに水を満たしたガラスの器が日の光に映え綺麗ですが、この作品を敢えて鎌倉でやる理由は何なのでしょう?
もっと鎌倉のランドスケープに溶け込むようなコンセプトの作品もあったのでは?と思いましたがいかがでしょうか。

浄智寺の作品(写真右)に関しては、コンセプトも空虚で、作品の完成度も論外。現代芸術は薄っぺらいものなどという偏見は持ちませんが、この作品は薄っぺらい。
学校の文化祭ならともかく、芸術として世に問うならもう少しましな作品をお願いしたいところです。

最後に。鎌倉には遠方からも多くの方が足を運びます。鎌倉市民はともかく、わざわざ時間とお金を使って来た方々ががっかりするような企画はやめていただきたい。また、つまらない企画を無責任に宣伝するホームページの運営者にも反省していただきたい(作品をろくに見もせずに宣伝しているのでしょう)。

鎌倉の今後の観光立市としての発展のために敢えて苦言を書かせていただきました。

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2009/08/27

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

今日は、現在、竹橋の国立東京近代美術館で開催されている「ゴーギャン展」を見てきました。

ゴーギャンは、スーラやギュスターヴ・モローと並び、私の好きな画家です。

私がゴーギャンを好きになったのは、彼の絵を見てというよりも、おそらく中学生の頃だったと思いますが、彼の人生をモーチーフにして描かれたサマセット・モームの小説『月と六ペンス』を読んでからだと思います。

株式の仲買人としての安定した生活を捨て画家となり、やがて文明社会を捨て南国に渡り、そこで朽ち果てるように死ぬ。この狂おしいばかりの彼の人生を知って、はじめて南国タヒチの伝説や褐色の美女たちを描いた彼の絵に興味を覚えたのでした。

ゴーギャンの絵は、色鮮やかで構図も大胆。しかし、よく見ると非常に丁寧な筆のタッチで描かれています。ゴーギャンの絵に神秘性や静謐さが宿っているのは、このせいなのでしょう。
また、彼の絵には常に孤独の影が潜んでいます。それは、南国の未開の島に渡ったものの、現地人と最後の一線でどうしても溶け合うことができない文明人としての孤独。
タヒチで描いた絵がパリで評価されない画家としての孤独。
そして、家族を捨て、故郷を捨て、遥か遠い未開の地で朽ち果てる人間としての孤独。。。

今回の展覧会の目玉は、彼の代表作と言われる「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。

人生は所詮孤独なもの。
孤独な旅人は、どこからやってきて、どこへ行くのか。
旅人は何の目的のために旅を続けるのか。

D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?

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2009/05/04

鎌倉なんでもベスト3 -ユニークな伝説-

鎌倉なんでもベスト3、其の五は「ユニークな伝説」。

古い歴史を持つ街、鎌倉。お寺や神社、民間に伝わる伝説や物語にも、古い歴史を持つ街ならではのとってもユニークなものがたくさんあります。
その中でも、とくに面白いものを3つご紹介します。

◆ムジナ塚の話(瑞泉寺Mujina
早春の梅、夏の芙蓉、晩秋の紅葉、冬の水仙。。。と四季を通じて境内に花が絶えることのない、鎌倉有数の「花の寺」、瑞泉寺。このお寺の鐘楼のそばに、寺を訪れる人もまず気づくことがないほど、ひっそりと祀られているのが「ムジナ塚」。小高く土盛りされた塚の上に、どっしりした体形のムジナ君の像が座っています。

「ムジナ」というのは、「アナグマ」もしくは「タヌキ」のこと。アナグマとタヌキは外見が少々似ていますが、アナグマは鋭い爪を持っていて自分で巣穴を掘るのに対して、タヌキは自分では穴を掘りません。なので、タヌキはアナグマが掘った巣穴の入口あたりに居候させてもうらうことが多い。「同じ穴のムジナ」というのは、このことが語源になっているようです。

さて、瑞泉寺のムジナ君には、どんなお話があるかというと。。。

むかし、むかし、瑞泉寺には堂守(どうもり)の夫婦が住んでいました。そこへ毎晩、近くの山に住むムジナが老人の姿に化けて遊びにきました。
瑞泉寺は鎌倉の奥にある寺で、堂守夫婦はとても寂しい暮らしをしていました。なので、毎晩訪ねてきてくれる老人をありがたく思い、まさかムジナが化けているとは思わず、食事やお酒を振舞ってもてなしました。

ある晩、いつものように老人が訪ねてきたので、堂守は老人にお酒をすすめました。老人はお酒を飲んで、楽しそうに話をしていましたが、この日はいつもよりも少々お酒を飲みすぎてしまったようです。やがて、老人は酔っ払って居眠りをはじめました。するとどうでしょう。いびきをかいて眠る老人に尻尾が生え、ひげが生え、みるみるうちに老人はムジナの姿に変わっていきました。
驚いたのは、堂守です。「おじいさんだと思って親切にすれば、悪いムジナめ」と言って、かたわらにあった焼け火箸で、ムジナを突き殺してしまいました。
しかし、堂守は後になって後悔しました。たしかに、人をだましてお酒やご飯をただ食いする悪いムジナだったけど、寂しい我々夫婦を随分楽しませてくれたではないか。ムジナが死んで訪ねてこなくなってからは、夜が一層寂しくなった。。。
そこで、堂守は塚を造って、ムジナを手厚く葬りました。

これが、瑞泉寺のムジナ塚のお話です。深酔いは禁物ですね。。。

◆どこも苦地蔵の話(瑞泉寺)Jizou
もう一つ瑞泉寺から。瑞泉寺の本堂の左脇に小さな地蔵堂があります。中にまつられているのが「どこも苦地蔵」というお地蔵さん。このお地蔵さんには、こんなお話が伝わっています。

むかし、瑞泉寺に堂守が住んでいましたが、あまりにも寺の生活が苦しいので逃げ出そうと考えていました。すると、ある晩、堂守の夢枕にお地蔵さんが立って、「どこも苦、どこも苦。。。」と言いました。
この世の中、どこへ行ったって苦しいのは同じこと。同じ苦しいなら、今の仕事をもう少し続けてみよう。そう思い直した堂守は、逃げるのを思いとどまって寺に残りました。

というお話。先日、このお地蔵さんの前を通りかかると、女性が2人で話していて、「どこへ行っても苦しい今の時代に、とてもタイムリーなお地蔵さんだね。」と言っていました。
未曾有の不況と言われるこの時代。
「苦しいのはあなただけじゃないよ。」
訪れる参拝客に、お地蔵さんがそのように言っているように思えてきました。

◆タヌキが建てた山門の話(建長寺Sanmon
最後に、もう一つ、タヌキがでてくるお話。
鎌倉のお寺の建物は、地震や戦火、失火により度々失われ、その度に再建されてきました。現在の建長寺の山門(禅寺の場合、「三門」ともいう)は、江戸時代の安永4(1775)年に、第二百一世の万拙碩誼(ばんせつせきぎ)和尚の下で再建されたものですが、この再建にあたっては、僧侶が諸国を勧進して歩き、資金を捻出したのだそうです。
このことが、次のようなタヌキ和尚の話を生みました。

その昔、建長寺の裏山の林に、古タヌキが棲みついていました。ある時、建長寺の和尚は山門を再建したいと願ったのですが、老いて諸国に勧進(お金集め)の旅に出ることができませんでした。そこで永年境内に住まわせてもらったお礼に、タヌキが和尚の姿に化けて旅に出ました。
タヌキはあちこちで「拙僧は鎌倉建長寺の僧だが、山門再建のためご寄進を願いたい」と言って寄進を受け、大金を集めました。しかし、いくら立派な坊さんに化けてもタヌキはタヌキ。飯を食えば米粒を畳にぶちまける、風呂に入れば尻尾があるのを家の下働きの女に見られるといった具合で、旅を続けてしばらくすると、建長寺の勧進和尚はタヌキだという噂が立ち始めます。
ある日、タヌキ和尚が青梅街道で駕籠(かご)に揺られているとき、タヌキ和尚の噂を聞いていた駕籠屋が和尚に犬をけしかけました。しばらく匂いを嗅いでいた犬が突然、和尚の首に喰らいつくと、あっけなくタヌキ和尚は死んでしまいました。和尚の死体は見る見るタヌキの姿に変り、駕籠の中には金三十両と銭5貫200文が残っており、このお金は建長寺に届けられました。

人様のお役に建ちたいとがんばったタヌキ和尚、なんだかかわいそうですよね。ちなみにこのタヌキ、寄進を受けたお礼に書や絵を描いたらしく(尻尾で描いた?)、あちこちの宿場に描いた絵がの残っているのだそうです。


鎌倉のユニークな伝説、ベスト3は、
1位 : タヌキ和尚のお話
2位 : ムジナ塚のお話
3位 : どこも苦地蔵のお話
ですかね。

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2009/05/01

鎌倉なんでもベスト3 -庭園-

鎌倉なんでもベスト3。其の二は、「庭園」について。

美しい仏像との出会い、丹精込めて育てられた境内のお花の観賞、とお寺めぐりの楽しみは尽きませんが、立派なお庭を拝観するのも、お寺めぐりの楽しみの一つですね。
しかし、京都などと比べると、鎌倉には見るべき庭が少ないと言われています。それはなぜでしょうか。まずは、日本の庭園の歴史を少し調べてみましょう。

◆平安時代
平安時代、京都では寝殿造庭園や浄土式庭園と呼ばれる庭園が盛んに造られました。
「寝殿造庭園」というのは、平安貴族が住んだ「寝殿造」の屋敷に付随する庭園のこと。絵巻物などに、池に船を浮かべて管弦の宴を催している絵がありますが、まさにあのような庭園のことです。代表的な遺構として、京都の神泉苑があります。

平安時代後期になって主流となるのが、この時代に流行った浄土信仰に基づく「浄土式庭園」。
お釈迦様が亡くなって、2000年目からの世の中は「末法の世」という仏の救いが及ばない世になる、というのがいわゆる「末法思想」。末法の世に生まれ、現世では救われないのなら、せめて死んだ後は阿弥陀様の主宰する極楽浄土に行き、幸せになろうというのが「浄土信仰」で、平安貴族たちは、なんとか極楽浄土に生まれ変わろうと、それは必死だったようです。

極楽浄土に生まれ変わるために、貴族たちは2つのことをがんばりました。1つは、念仏を唱えること。もう1つは、自分が行く極楽浄土の様子を頭の中に思い浮べてイメージトレーニングをすること。このイメージトレーニングのために造ったのが、「浄土式庭園」なのですね。自分の思い描く理想の極楽浄土の様子を庭園に現し、こういう場所に生まれ変わるんだ、とイメージトしたわけです。平等院鳳凰堂の庭園は、関白・藤原頼通が思い描いた極楽浄土です。
Byodouinこのように、寝殿造・浄土式庭園が盛んに造られた平安時代ですが、この時代、鎌倉はまだ地方の田舎町。寝殿造庭園や浄土式庭園が造られることは、もちろんありませんでした。

◆鎌倉時代
鎌倉時代になって、中国から新しく入ってきたのが、「禅」の教え。禅宗は鎌倉幕府が保護したこともあり、建長寺や円覚寺など、禅宗の大寺院が建立され、鎌倉で大発展します。
「禅」は仏教の教えですが、禅宗のお坊さんたちによって、さまざまな「禅宗様」の文化も発展します。そのひとつが禅宗様の庭園。平安時代の寝殿造りの庭園が、「大和絵」的な穏やかなものだとすると、禅宗様の庭園は「禅」の思想を表現する、非常に厳しいもの。絵に例えるなら枯淡の墨で描いた「水墨画」に近いでしょうか。

では、鎌倉時代になってすぐに禅宗様の優れた庭園がたくさん鎌倉に造られたかというと、そうでもありません。禅宗様の庭園を様式的に完成させたのは、夢窓国師というお坊さん。この人は、京都の西芳寺(苔寺)や、天龍寺の庭園など傑作を数多く残しました。
しかし、夢窓国師は鎌倉末期から室町初期の人物。しかも、夢窓国師の晩年の傑作というのは、足利将軍家の命によって京都で造られている。このような事情が、鎌倉には見るべき庭園が少ないと言うことにつながっているのです。

<鎌倉の庭園ベスト3>
確かに、歴史的に価値のある優れた庭園は少ない鎌倉ではありますが、全く見るべきものがないかと言えば、そんなこともありません。私が、鎌倉の優れた庭園として挙げたいのが、「瑞泉寺の庭園」、「海蔵寺の庭園」、「報国寺の庭園」です。

瑞泉寺の庭園
Zuisenji瑞泉寺を開いたのは夢窓国師で、本堂裏の庭も夢窓国師の作。この庭の位置づけは、後年、京都で造る苔寺や天龍寺の庭園のプロトタイプ的なものと言えるでしょう。

岩肌にポカンと口を開ける大小の穴と、水草の生えた池。はじめてこの庭を見た人は、一見、何を表現しているのか分からず、戸惑ってしまうかもしれません。しかし、よくよく観察すれば、仙人が住む深山の洞窟、流れ落ちる滝、海に向って急流から大河へと変化する水の流れ、そういった大自然の変化が、禅の厳しい思想に裏打ちされて表現されているのに気付くと思います。
規模こそ小さいですが、やはり作庭の天才・夢窓国師の作品。一見の価値ありです。

海蔵寺の庭(非公開)
こちらのお庭は、残念ながら非公開ですが、先日、私の主宰するNHK学園の講座で特別に見せていただく機会があり、とても素晴らしいお庭で感動しました。
このお庭は、今の和尚さんが趣味で(ご本人談)で造っていらっしゃるもので、歴史的なものではありません。しかしながら、深山幽谷から流れ出た水が大海に模した池に流れ込む様子を、お寺の裏山を上手に借景として使いつつ見事に表現しており、素晴らしい出来栄えになっています。
禅寺の庭らしさ、ということで言えば、鎌倉ナンバーワンかもしれないですね。

報国寺の庭園
Hokokuji一風変わった竹林の庭。青々とした孟宗竹の鮮明な風景の中を涼やかに吹きぬける風。風が吹き抜けた後、笹の葉がサワサワとささやくような心地よい音を立てる。。。
この庭は、外国人に「日本の風情というのは、こういうもんだよ」と教えるときに、ちょうどピッタリ。
麗らかで幻想的な春の早朝、夏の午前の心地よさ、秋の昼下がりの美しさ、冬の夕暮れの寂しさ。。。誰もが心の奥底に持っている日本人の心を思い出すために時折訪れたい、そんなお庭です。


さて、これも順位付けはとても難しいですが、鎌倉の庭園ベスト3は、
1位:報国寺の庭園
2位:瑞泉寺の庭園
3位:海蔵寺の庭園
というところでしょうか。

このほか、日本庭園ではありませんが、鎌倉文学館のローズガーデン(イングリッシュ・ガーデン)は、5月には春バラで一杯になります。イベントも行われるので、ぜひ訪れてみてください。

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2009/04/29

鎌倉なんでもベスト3 -美しい仏様-

今、ちょうど上野の東京国立博物館で、「興福寺創建1300年記念 国宝阿修羅展」をやっていますね。見に行かれた方も多いと思います。
「天平の美少年」と呼ばれるこの阿修羅像、なんだか仏像というよりも、今で言えば、アイドルかタレントのフィギュアのようにも思えます。本当に瑞々しいですね。

この阿修羅像も含め、「美しい仏像」というのはたくさんありますが、私が今まで見た仏像で、最も美しいものを3つだけ挙げよ、と言われたら、広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」(京都)、薬師寺の「薬師三尊像」(奈良)、中宮寺の「如意輪観音像」(奈良)を選ぶと思います。

やはり、奈良・京都は歴史が古いだけあって、仏像の傑作もたくさんあります。

では、鎌倉には美しい仏様はいないのと言われれば、そんなことはありません。私が鎌倉の美しい仏様を3つ選ぶとすれば、「水月観音」(東慶寺)、「如意輪観音(来迎寺)」、「覚園寺・薬師堂内の群像」を挙げます。

水月観音(東慶寺)
この仏様は「水月観音堂」という独立した建物にお祭りされていて、拝観するには事前予約が必要なこともあり、東慶寺に行ったことはあっても、水月観音を拝観したことはないという人が多いのではないでしょうか。

観音様は「補陀洛山 (ふだらくさん 梵語ポータラカの写音。チベットの「ポタラ宮」というのもここからとっています)」というインドの山に住んでいるのですが、その山の麓を流れる川の辺の岩に腰掛け、水面に映る月を眺めている姿を描いたのが、いわゆる「水月観音」です。

東慶寺の水月観音の特徴はその座り方にあります。仏像は、立ち姿の「立像」、座っている姿の「坐像」があります。そして「坐像」は通常、「正座」や両方の足を組んだ「結跏趺坐(けっかふざ)」、片足を組んだ「半跏趺坐(はんかふざ)」が多いですが、この水月観音は足を組まず、横に流しています。なんだか「お嬢さん座り」みたいですよね。このような坐像を「遊戯坐像(ゆげざぞう)」と言います。遊戯坐像は中国(宋王朝の時代)では数多く造られましたが、日本では作例が非常に少ないのでとても貴重です(※1)。

この仏様、ややうつむき加減の表情といい、衣の繊細な線といい、言葉では表現できない美しさを持っています。「鎌倉の美女」というのにふさわしい仏様。鎌倉へお越しの際は、ぜひ拝観をおすすめします。

如意輪観音(来迎寺)
来迎寺というお寺は、鎌倉に2つあるので、注意が必要です(西御門と材木座)。ご紹介する如意輪観音は西御門(にしみかど)のほうの来迎寺にいらっしゃいます。

この仏様の美しさは、上で紹介した水月観音が可憐な美しさだとすれば、どちらかというと妖艶な美しさです。岩穴の奥に座り、来るものをその美しさで魅了する、そんな感じですね。とにかく一度お参りすると、その美しさに囚われ、何度も足を運びたくなってしまいます(私だけ?)。
もともとこの仏像は、現在、頼朝の墓がある場所に明治初年まであった法華堂(頼朝持仏堂)のご本尊でしたが、廃仏毀釈(神仏分離令)により法華堂が取り壊されたので、来迎寺に移されたのだそうです。
鎌倉の仏像特有の装飾技法である「土紋(粘土と漆を混ぜたものを型抜して、仏像の表面に貼り付けていく技法)」があしらわれているのも、この仏像の特徴です。

覚園寺・薬師堂内の群像
皆さん、覚園寺というお寺、ご存知でしょうか。薪能で有名な鎌倉宮(大塔宮)から、更に山の麓のほうにしばらく歩いたところにあるお寺です。
このお寺は、なんというか「鎌倉らしさ」とか「鎌倉の風情」というものをギューっと凝縮したような魅力のあるお寺です。
室町時代に建てられた本堂の薬師堂は、ほぼ当時のまま。したがって中にお祭りされている仏様もほぼ当時のままの姿。戸の隙間から入るわずかな光とお灯明だけに照らされて、その優美な姿で立っている群像。このお寺に来ると、なんだか時空を超えて、鎌倉・室町の昔にタイムスリップしたような感じさえしてきます(※2)。

薬師堂の中心にいらっしゃるのは本尊の薬師如来像。そして両脇には日光・月光の両菩薩。壁際に並ぶのは、邪悪なものが薬師如来に近づかないよう、恐ろしげな表情で周囲を威嚇する十二神将。
さらに、本尊に向って右奥にも忘れてはならない仏様がいらっしゃいます。小さな阿弥陀様で、「鞘阿弥陀(さやあみだ)」と呼ばれる仏様。かつて、理智光寺というお寺のご本尊でしたが、理智光寺が廃寺になったため、客仏として覚園寺にお祭りされています。生前、鎌倉に住んでいた川端康成が、この仏様を大変気に入っていて、度々訪れては眺めていたとか。


順位は付け難いですが、一応順位付けすると、鎌倉の美しい仏様ベスト3は、
1位:水月観音(東慶寺)
2位:如意輪観音(来迎寺)
3位:覚園寺・薬師堂内の群像
ですね。

もちろん鎌倉には、与謝野晶子に「美男」と読まれた大仏様をはじめ、ほかにもたくさん素敵な仏様がいらっしゃいます。GWは大変な混雑で、ゆっくりお寺をお参りするのは難しいですが、GW後、梅雨の紫陽花の時期までは比較的混雑もおさまり歩きやすいので、ぜひお寺を訪ね歩いて、美しい仏様と素敵な出会いをなさってください。

※1 遊戯坐像については、「日本の美術 No.57 禅宗の彫刻」(至文堂)に詳しい。
※2 覚園寺は、毎日決められた時間に、お寺の方の案内で拝観するスタイル。自由拝観はできないので注意。

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