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2006/08/31

夏の鎌倉散策

先週の土曜日は、会社の人達5人を案内して鎌倉を散策しました。
もうじき9月といってもまだまだ暑い最中。なるべく涼しい場所をということで、鎌倉駅からバスに乗りまずは竹の寺報国寺へ。
報国寺の竹の庭に入るとヒンヤリとしていて外より2、3度は涼しいのではないかと感じます。竹の庭を一回りした後、抹茶を飲みながら休息。
風が吹くとザワザワと笹のふれあう心地よい音がして一層涼やかなのですが、当日は風がなくちょっと残念。

報国寺の後は、釈迦堂切通しに向かいました。以前から釈迦堂切通しは「落石のため通り抜け禁止」となっていましたが、しばらくぶりに来てみると、切通しのかなり手前に通行止めの柵まで出来ていました(それでも入って近くまで行っちゃいましたが・・・)。

その後は、鎌倉最古の寺杉本寺、鎌倉幕府滅亡の地である東勝寺跡・北条高時腹切りやぐら、鶴岡八幡宮などを見学した後、八幡宮前の「鎌倉 峰本」で懐石料理を頂きました。「峰本」の社長には以前から親しくして頂いていて、なにかあるごとに利用させて頂いているのですが、今回もお世話になりました。

今回の参加メンバーの感想は、「鎌倉ってけっこう奥が深いね」とのこと。大仏や八幡宮、鎌倉五山のお寺だけで満足してしまいがちな鎌倉見学。たまにはちょっとマニアックなコースもよいかもしれませんよ。

杉本寺にて
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2006/08/25

9月の鎌倉 おすすめ散策コース

まだまだ暑い日が続きますが、夏もあとわずか、秋の足音が近づいてきています。
暑い盛りは山歩きなどとても・・・と言っていた方も、涼しくなったら鎌倉ハイキングに出掛けてみませんか。鎌倉には、「鎌倉紀行」でも紹介している素敵なハイキングコースがたくさんありますよ。

9月の散策路でおすすめなのは、鎌倉駅西口から寿福寺門前を通り、海蔵寺まで歩くコース。この道は、とても味わい深い散策路で、四季を通じておすすめですが、私は秋に歩くのが大好きです。横須賀線の線路沿いにススキの穂が揺れはじめると、ちょっぴり感傷的な気分になったりします。

海蔵寺は初秋のハギが有名で、赤紫色のハギの花で山門前が彩られます(写真)。
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海蔵寺から一旦寿福寺まで戻り、横須賀線の線路を渡って「いわや不動」の前を抜け、鶴岡八幡宮方面に足を伸ばすのもおすすめ。八幡宮のちょっと先にある宝戒寺は、別名「ハギ寺」として有名で、9月下旬になると、境内は白萩の花で一杯になります。

そして、9月のイベントで是非見ておきたいのは、毎年9月18日に行われる、長谷の御霊神社(権五郎神社)の例祭「面掛行列」。別名「はらみっと行列」とも呼ばれるこの祭りは、源頼朝が隠れ里の娘を懐妊させたため年1回里人の無礼講を許したことに由来するともいわれ、異形の面をつけた10人衆が町を練り歩く姿は、鎌倉に秋の訪れを告げる風物詩となっています。
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2006/08/23

鎌倉の七不思議-其の7-

鎌倉の七不思議の最後は、鎌倉幕府の置かれた場所についてです。

今の日本の政府であれば霞ヶ関の官公庁街、江戸幕府であれば江戸城にあたる、鎌倉幕府の実際に政治がおこなわれた場所は一体何処なのでしょうか?

鎌倉市内には、「鎌倉幕府跡」とされる史跡がなんと3つもあります(笑)。なぜ、「鎌倉幕府跡」は3つもあるのでしょう。

これには鎌倉幕府の実権が頼朝を初代とする源氏の将軍家から執権の北条氏に移っていったことも関係しています。

鎌倉時代初期は、頼朝の屋敷のあった大蔵の地で政治が行われていました。現在、鶴岡八幡宮の東隣の清泉小学校の南西側道路角に「大蔵幕府跡」の石碑が建っています。

源氏の将軍の血が三代で途絶えると執権の北条氏が力をもつようになりますが、これと同時に幕府の引越しが行われます。嘉禄元(1225)年12月20日、京都から呼び寄せた8歳の四代将軍九条頼経が新御所に入りました。
移転先は、宇都宮辻子(「辻子」とは小道のことを指す)。現在、若宮大路から雪ノ下カトリック教会の右手の路地を入ってすぐの住宅地にお稲荷さんが祭られていますが、丁度この辺りに将軍御所があったようです。お稲荷さんの鳥居の脇に「宇都宮辻子幕府跡」の石碑が建っています。

さらに嘉禎2(1236)年、また将軍御所の移転が行われます。今度の移転先は、宇都宮辻子からほんの200メートルほど北上した場所。移転の事情や原因はどの史書にも書かれていないようですが、『鎌倉歴史散歩』(新人物往来社)の中で、著者の奥富敬之氏は、「宇都宮幕府は宇都宮辻子には面しているが、若宮大路には面していない。・・・頼経は、鎌倉の基準線でもある若宮大路から堂々と出御したくなったのであろう。」と述べておられます。

要するに3度目の引越しは将軍のわがままだったということですが・・・。
現在、「鞍馬天狗」で有名な小説家・大仏次郎氏(故人)の邸(現在、大佛茶廊として営業)の塀脇に若宮大路幕府跡の石碑が建っています。

参考
鎌倉幕府の成立時期と鎌倉幕府の引っ越しについて

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2006/08/22

鎌倉の七不思議-其の6-

鎌倉の七不思議-其の6-は、鎌倉市街を南北に流れる川、滑川(なめりかわ)についてです。

滑川は、朝比奈切通し付近の山に端を発し、由比ヶ浜に流れ込む全長8キロメートルほどの川なのですが、かつて(江戸時代)は8キロ流れる間に6回も名前が変わっていたというのです(笑)。いったい何故なのでしょう。

本覚寺山門前の「夷堂橋」の石碑には以下の文章が刻まれています。

-鎌倉十橋の一にして 此辺は往昔夷堂ありしといふ 此川 は上流にて胡桃川といひ 浄明寺門前に至り滑川の名あり 文覚屋敷と伝へらるる辺 は坐禅川と唱へ 此辺は夷堂川と呼び 延命寺の傍より墨売川と名つけ  閻魔堂址の辺にては閻魔堂川といふ -

つまり、
①源流付近では「胡桃(くるみ)川」とよばれる(胡桃の樹がたくさんあった胡桃ヶ谷が源流であることから)。
②浄明寺(浄妙寺)付近では滑川と名前を変える(名前の由来についてははっきりしないが、川底に苔が生えていて滑るからという説があります)。
③かつて文覚上人の屋敷があった辺りでは上人が座禅を組んでいたことから「座禅川」と呼ばれる。
④さらに本覚寺の辺りでは、この付近は頼朝が守護神である夷神を祀った夷堂(えびすどう)があった地であることから「夷堂川」となる。
⑤下馬交差点付近の延命寺の辺りで「墨売川」となる(由来ははっきりしませんが、この辺りに墨売が住んでいたからともいわれます)。
⑥そして、河口付近にはかつて閻魔堂(現在の円応寺の閻魔様)があったので「閻魔堂川」となる、というのです。

面白いですね。

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2006/08/21

鎌倉の七不思議-其の5-

鎌倉の七不思議-其の5-は、鎌倉に伝わる「隠れ里」伝説についてです。
「隠れ里」とは、俗世間と隔てられた奥深い秘境のような地に、ひっそりと人々(落ち武者や、場合によっては仙人や妖怪)が暮らす土地のことをいいます。

鎌倉にはいくつかの隠れ里伝説が伝わっていますが、一番有名なのが佐助稲荷の伝説。
-隠れ里の稲荷に助けられた頼朝-
平治の乱で平家に敗れ、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)で20年にもわたる流人生活を送っていた頃のこと。
ある晩、頼朝の夢に神霊と思われる老人が現れ、“わしは隠れ里の稲荷なり。平家討伐の兵を挙げよ。必ず加護しよう”と言って消えました。
その言葉を信じて出兵した頼朝は、やがて壇ノ浦で平氏を滅亡に追いやり、建久3年(1192)、征夷大将軍に昇り、鎌倉幕府を開きます。その後頼朝が佐助ガ谷に小さな祠を見つけ再興したのが、現在の佐助稲荷だと言われます。
山に囲まれた佐助稲荷の境内は今も静寂そのもの。隠れ里の雰囲気が漂っています。

また、佐助稲荷に隣接する銭洗い弁天社にも似たような伝説があります。
-銭洗い弁天社の伝説-
平安時代末期から鎌倉時代初期はいわゆる乱世で、国民の貧困は一向に去りません。頼朝は幕府を開いて以来、日夜神仏に加護を祈願していました。
ある巳の年、巳の月、巳の日に夢の中で、宇賀福神が翁の姿を借りて頼朝の夢枕に立ち、「ここから西方の地に霊水が湧き出ている。この水を汲んで神仏を供養すれば天下が平和になるだろう。私は隠れ里に住む宇賀福神である」と言って姿を消した。このお告げを受けてお祀りしたのが、銭洗い弁天の始まりだといいます。
宇賀福神という神様は人頭蛇身の神様で、今ではこの伝説が形を変えて、巳の日に銭洗い水でお金を洗うとお金が増えるといわれ、全国からお金を洗うために人々が集まってきます。

そして最後は、毎年9月18日に長谷の御霊神社で行われる面掛行列(別名「はらみっと行列」)にまつわる話。鎌倉の秋の訪れを告げる風物詩ともなっているこの祭りも隠れ里の伝説に由来しています。
-面掛行列の起源-
頼朝が隠れ里を訪れたときのこと。木彫り師円才の麻代という娘の美貌に魅せられ、その場で契った。娘は懐妊したが、このことが妻の政子に知れるのを恐れ口封じのために父娘には高価な藍摺(あいずり)の反物を与えるとともに、隠れ里の住人には年一日限りの無礼講を許した。面掛行列はその無礼講の名残ともいわれます。おかめの面をつけた妊婦(妊娠した隠れ里の娘)など、面をつけた10人衆が町を練り歩きます。

以上3つの「隠れ里」にまつわる話を挙げましたが、これらは関係があるのかというのが本日のミステリーです。
いずれも頼朝に関わる話であること、場所が近いことから、3つの話に出てくるのは同一の隠れ里であるというのが一般的な見方でしょうか。
『鎌倉伝説散歩』という本で、著者の原田寛氏は、「ここでいう隠れ里は佐助ガ谷のことで、里の住人は祈祷師をはじめ、修験者や木地師たちではなかったかと推測されている。頼朝のような権力者にとって役に立つ祈祷や呪術、あるいは間諜のような特殊な才能を持っている人々の集団だったのかも知れない」と述べておられます。

面掛行列の様子
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2006/08/08

8月の鎌倉 おすすめ散策コース

-昨年8月に掲載した記事を再掲載しています。-

夏真っ盛りですね。

今日は、「こう暑いとハイキングはちょっと・・・」という方、「人・人・人で溢れているビーチも苦手」という方のために、8月の鎌倉の一味違う楽しみ方をご提案します。

山、海の他にどんな楽しみ方があるの?というと、自転車で湘南のビーチ沿いを走りぬけよう!というものです。

まず、自転車を手配しなければなりませんね。鎌倉駅前にもレンタサイクルがありますが、折角ですから、ちょっとオシャレにマウンテンバイクで決めてみたいという方、由比ヶ浜にある「GROVE」というお店でマウンテンバイクをレンタルしましょう(要予約)。

私のおすすめサイクリングコースは、逗子マリーナを起点に、鎌倉の海岸を走り、江の島、藤沢から茅ヶ崎の烏帽子岩まで走るというコースです。
逗子マリーナから江の島までは国道沿いを走らなければなりませんが、江の島から茅ヶ崎までは、ちゃんとしたサイクリングロードが整備されており、とても走り易いですよ。

是非、挑戦してみてください!

ちなみに、私自身が同コースを走ったときの記録はこちらのページです↓
湘南・鎌倉海物語

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2006/08/07

鎌倉の七不思議-其の4-

すみません、ちょっと間が開いてしまいましたが(m_ _m)、鎌倉の七不思議-其の4-です。

鎌倉の歴史に関して、なんとも不思議なのは、将軍や幕府の肝いりで建てられた大寺院が、歴史上、忽然と姿を消してしまうということです。

例えば永福寺(ようふくじ)。このお寺は、頼朝が平泉に栄華を誇った藤原氏を滅ぼした際、奥州の地で目の当たりにした、荘厳な中尊寺や毛越寺(もうつうじ)を鎌倉に再現したものといわれる寺ですが、室町期以降、いつのまにか廃絶し、幻の寺ともいわれています。

他にも、三代執権北条泰時が、父、義時の菩提を弔うために建てた釈迦堂も、現在、釈迦堂切通しがある谷のどこかにあったとされますが、いつのまにか無くなり、その場所がいまだにわからないため「幻の寺」といわれています。

室町・戦国と時代を下るに従って、鎌倉が政治的にあまり重要でなくなっていったことが、これらの寺が廃絶した経緯が文献に残っていない原因と思いますが、歴史的に重要な意味をもつ寺が忽然と歴史上から姿を消すということに、ちょっとロマンを感じたりもします。

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